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中村タバコ

慣れないスーツに身を包み、おばあちゃんの法要が始まる。昔から何度も見たことある和尚さんが御経を唱えるが、僕といえば集まった親戚の顔と名前と関係を今一度思い出すのに必死である。

おばあちゃんと書いたが、正確にはおばあちゃんではない。僕のひいおばあちゃんの妹にあたる人らしい。でも小さい頃からずっと一緒に住んでいたし、そんなことは気にもしなかった。ちなみにおばあちゃんはもう一人いて、こちらは普通の(?)おばあちゃんである。区別するため、亡くなった方を『下ばあちゃん』と呼んでいた。家の一階ががタバコ屋で、いつもその店先に居たからだ。何とも子供らしい発想(笑)。

お通夜や葬式など、一通りのものには出席したが実は初めての経験である。身内が亡くなるというのは二人目なのだが、一人目のおじいちゃんの時には故人の希望から葬式も何も行わなかったからだ。

なので今回、火葬場などにも初めて行った。お骨を拾い上げたりもした。僕は無宗教なのであまり詳しい事はわからないが、こういうことを行う事で少しでも気が休まる人が居るなら多少、面倒ではあっても意味のあることのように思える。

おばあちゃんとの一番新しい記憶は僕がタバコを吸い始めた時、『あんたは何を吸ってるんや?』と聞かれ、僕の吸ってる銘柄をスッと差し出してくれたこと。それ以降ももちろん会話はあったが、挨拶とかではなく、何かやり取りをしたという意味ではこれが一番新しい。

近年は明らかに老いが見え始め、どこかの施設に入ったり病を患い入院するなど我が家でその姿を見ることはなかった。子供の頃、『俺の家は七人も家族がいる』と自慢していた(子供は数が多いというのが自慢できること)家も今は、兄も結婚して家を出たため四人になった。最近、家の表札をちらっと見たが、未だに七人分の名が連なっていたと記憶している。家に帰れば必ず誰かが居るという状況はなくなり、必ず鍵を閉めるようにもなった。

人間、ずっと生きていられるわけではないからこうなるのは仕方のないこと。それでも、『おばあちゃん』があの店先に居ないというのはやはり、違和感を感じぜずには居られないのです。
by keita8286 | 2006-06-26 22:28
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