前回書いた【涼宮ハルヒの憂鬱】。続きを読みたいという欲求に勝てず、結局発売されてる第8巻まで購入。今日の明け方まで読みふけってしまいました。こんなに活字を読んだのは何年ぶりだろうか。実家には推理小説の類が応接間の本棚に所狭しと陳列し、父親も兄もけっこうな活字中毒者であるが、家系唯一の理系である僕には興味の対象になったことはない。
ところでこの【涼宮ハルヒの憂鬱】には、いわゆる『タイムパラドックス』のような話がいくつか掲載されている。僕は昔からこの手の、『パラレルワールド』だとか『因果律』だとか『事象ポテンシャル』だとか『時間の連続性』だとかいう言葉に弱い。 『時間は可逆であるが、歴史は不可逆なものである』・・・ある日、お腹を壊した僕はタイムマシンに乗って過去に行き、お腹を壊した原因となる食べ物(ここではカレーとしておこう)を前にした僕自身にその旨を伝える。こうして僕はお腹を壊す事も正露丸のお世話になることもなく一日を平和に過ごす。 一見、僕はカレーを食べずに済んでいるわけだがそうではない。その時点から、カレーを食べた『僕』と食べなかった『僕』とで歴史が分かれるだけのことである。カレーを食べてお腹を壊した『僕』の存在を消す事は出来ない。つまり『タイムマシンで過去に戻ったこと』すらも歴史になるため、時間は戻せても歴史を変えることは出来ない。という理論である。結果的に歴史の分岐が増えるだけである。 これが『パラレルワールド』と呼ばれるもので、未来からの使者が来なくてもカレーを何らかの理由で食べなかった『僕』もいるだろうし、そもそもカレーじゃなくラーメンかもしれない。このように様々な事柄が微妙に違う世界が一瞬ごとに構築され、僕は無限大に分岐された蜘蛛の巣のような事象の内の一つに存在しているに過ぎない。すぐ隣り(もちろん物理的なそれじゃなく)には全然違う話のBlogを書いている僕がいるかもしれないし、もう少し遠くの事象に行くとベジタリアンな僕かもしれない。 こんなことを考えてると頭がおかしくなりそうになるが、たまに他の事象の『僕』はどんな『僕』だろうと想像(妄想ともいう)してみるとこれが中々楽しかったりもする。断っておきますが僕はしがない至って(頭の中も含めて)普通のどこにでも居る普通のギター弾きですのでこの理論の穴などを指摘されても困ります・・・。 ちなみに『時間は可逆であるが、歴史は不可逆なものである』のくだりを化学のテストの問題、『可逆変化と不可逆変化を文章を用いて説明せよ(10点)』という問いの答えとして書いたところ、満点を頂き教師に『おもろいけどこんなん書いたんお前だけや。』と言われたことを思い出します。
by keita8286
| 2006-08-23 23:40
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