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エンドレス

よく祭は準備が楽しいなんてことが言われるが、僕もその性質である。準備段階はこれから始まるイベントに対して期待や高揚感でワクワクするものだが、いざ祭が始まってしまうと何やかんやで忙しく、楽しむヒマがないってことはよくあることだ。しかし、僕にはもう一つ感じることがある。始まった瞬間、終焉へのカウントダウンも始まってしまうということ。何事にも始まりがあれば終わりもある。だが、始まらなければ終わりが来ることもない。僕が準備は楽しいと思うのはこういう理由からだ。

学生時代の文化祭や体育祭なんてのは実に楽しみだった。皆が力を合わせ、知恵を振り絞り、協力し時には競い合う。これほど血沸き肉踊るシチュエーションもそうそうないであろう。実際、楽しかったし終わった後の充実感もひとしおさ。だが次に待っているのはいつもと変わること無い日常。祭が楽しければ楽しいほど、あれは夢だったのかと感じるも、結局は日常の波に流されそんなこともすぐに考えなくなる。

秋の風はふいにこんなことを思い出させる。僕にとっては終わりの季節とでも言おうか。いや、始まり季節である春の対極と考えれば、けっこうそう感じている人は多いかもしれないが。しかしまぁ、終わるってことはまた始まるってこと。ドラマだって何だってそう。その気になれば始めつづけることは出来るわけさ。何度終わりが来ようとね。
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by keita8286 | 2006-09-21 03:34

3年5組21番。

e0077515_2405421.jpgハッピーマンデー政策により土、日、月という3連休が多くなった今日、連休よりも週の真ん中ぐらい(水曜や木曜?)にポッとある祭日の方が何となくありがたみを感じるのは僕だけだろうか。まぁ祭日の休日というのはどんな形であれ、幼少の頃から日曜日とは少し違う何とも言いがたい安らぎを感じる休日ではあるが。

その連休をどれだけの人が満喫したかは知らないが、少なくとも僕は満喫したと言えるのではないだろうか。思わず休み明けの仕事を当日思い出したぐらいだ。

一晩中スーパーマリオ(しかもⅡ)を躍起になってクリアしようとしている25歳の男4人。内訳はギタリスト、コンピューター関係者、元不動産業、レントゲン技師。端から見ればなかなか痛々しい画が出来あがっていただろう。しかし、高校時代の僕等はいつもこうだった。こんな風にゲームをするか麻雀をするか。とにかく一晩中、(週末でなくとも)騒ぎ明かしたものだ。その頃と何一つ変わらない。中には何年か振りに会った者もいるのにだ。ちなみに全く関係ないが写真は高3の数学のテスト。この夜、せっかくだからと卒業アルバムを開いたら中に挟まっていたものだ。見ての通り100点満点。記念にとっておいたのだが今の僕にとっては理解不能の言語が並んでいるようにしか見えない。

次の日はおそらく僕にとって最良の友人であろう【T氏】と会う。ジャイ○ン的に言うと『心の友』というやつだろうか。この日は(といってもいつものことだが)近所の飲み屋へ。彼とも久しぶりに会い、しかし昨日と同じく昔と何一つ変わらない時間。気がつけば6時間も経過していたことに驚き、そろそろお開き。・・・はて?何の話をしただろうか?お互い近況報告をするわけでもなく、愚痴や悩みをこぼすわけでもなく、かといって無言の時は皆無。それほど酔っているわけでもない。6時間も会話は途切れることがなかったのにほとんどと言っていいほど内容を覚えていない。彼と会った時は必ず笑顔でこのセリフを吐く。『今日も実のない話だった』と。

お互い深くを語らず、テリトリーに侵入せず。だが気をつかっているのとは違う。こういう時、自分の表現力のなさにヤキモキしてしまうが、一言で言うなら(月並みだが)親友だろう。

タイムスリップというのは映画やアニメの中だけだと思っていたが、割と簡単に出来るようだ。彼等と会っていた時の僕は紛れもなく18歳の僕だった。
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by keita8286 | 2006-09-20 03:20

長い一日でした。

僕の部屋はエントロピー増大の法則によってその乱雑さを増し、いくら片付けても宇宙の理にどうあがいたって一介のギタリストが敵うわけはなく、よって部屋を片付けるのは不可能と、完璧なロジックで自分の棚上げに成功したところで今日は先日のバレーボール後の話。

運動したその日に体が痛くなるのは筋肉痛とは違うかもしれないが、ともかく筋肉の張りを訴えて三回ぐらいでマウンドを降りたピッチャーのように(野球はしたことないが)体を引きずり家を出た。目的地は【長堀橋 Peace Bar】。月に一度は足を運んでるんじゃないだろうか。毎度おなじみの(?)【Faith】を見に行った。しかし今回はそれだけではない。【梶山シュウ】・・・ベース、カリンバ、パーカッションを同時演奏しながら唄を唄う「独弾(どくだん)」パフォーマー。前々から相方の千夏に『すごいで~』と聞かされていたので非常に楽しみにしていたLIVEである。

結果から言うと【梶山シュウ】さんのLIVEは感動しきりだった。これを聴いて感動を覚えないミュージシャン、アーティストは居ないんじゃないだろうかと思えるぐらいに。今はそれに対する自分の未熟さや甘さに、頭を抱えてしまうが観ている時はそんなことはどうでもよかった。五感をそのパフォーマンスに全て奪われてしまったようだった。

打ち上げにも参加さしてもらい、梶山さんの音楽に対しての情熱も存分に感じることができた。もちろん、その「人となり」が素晴らしかったことは言うまでもないだろう。楽器を持っていない時こそ、その人の音楽観が見えるというもの。本当に中身の濃い一日になった。色んな意味で。

ちなみに今日はもう日付が変わって金曜日なのだが、未だに階段を降りたりする時は太ももに軽く痛みが走る。冗談のつもりだったが日曜までに完全回復しないんじゃなかろうか・・・。困ったもんだ。
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by keita8286 | 2006-09-15 04:22

あ(りがとうございま)したぁ!!

体中が悲鳴をあげている、という擬人法が今の僕にはぴったりであろう。ちょっとした階段を昇るにも苦痛の表情が浮かぶほどである。事の起こりは一昨日の日曜に遡る。

最近にしては珍しく、午前中に電子音を響かせる携帯電話で目を覚ました。幼馴染からのメール。ちなみに幼稚園からの付き合いなのであるが、実際によく話すようになったのは中学3年の時からだ。それは幼馴染とは言わないのでは・・・と疑問が頭をかすめるが、今となっては幼馴染という表現が合っているような気がするのでよしとする。ついでに、その人は女性なのだが今は結婚し、二人目をそのおなかに宿している。今に至るまで僕とのいわゆる男女の関係も(心身ともに)皆無だったことを付け加えておこう。男女の友情も稀にだが存在するものさ。

彼女からのメールは文面を見るまでもなく予想できるのだが一応、開いて確認する。予想通り、バレーボールをしに来ないか?という誘いのメールであった。中学時代は共にバレー部にその身を置き、陽が暮れるまで青春を大いに謳歌したものである。高校生の頃はお互いによく地元のバレーボールチームに顔を出していたが、二十歳を過ぎたあたりからは時間もなくなり、何となく疎遠状態が続いていた。時折、こんな風に誘いのメールが来ては何かと理由をつけて断っていたのだが・・・時間を持て余しそうな日曜の午後。たまには健康的な汗をかくのも悪くないだろうと押入れの奥にしまったバレーシューズを引っ張り出し、気づけば徒歩五分の公民館にその足を運んでいたのである。

さて、そこから二時間ほど前後左右、そして垂直に跳びに跳びまくった僕の足(主に太もも)の状態がどんなものであるかは言うに及ばないであろう。何年も運動と呼ばれるものから遠ざっていたことも忘れ、しかし悲しいかな体は10年前の感覚を覚えていたようで、勝手に身体能力以上のことを要求するのだからたまったものじゃない。全く、僕の脳はどうなってるんだろうね。もう少し今の僕の能力を把握してほしいもんだ。おかげで日常生活に支障をきたすほどの筋肉痛ではないか。しかしまあ、こういう汗のかき方はやっぱり悪くない。これからは幼馴染の誘いを無碍に断るのもやめにしよう。次の日曜までにこの筋肉痛が治っていればの話だが。
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by keita8286 | 2006-09-12 16:10

無意味の意味

このBlogも今月の24日を以ってめでたく1周年ということに先ほど気付き、ついでに今までどれだけの戯言を特に目的や理由もなく全世界に向けて垂れ流してきたのかと調べてみるに、120件程に達するという。単純に3日に一度はキーボードを前にそれなりの、少なくとも日本語を解する人ならばまぁどうにか理解できそうな文章を綴ってきたわけである。

『事実は小説よりも奇なり』と、誰が言ったかは知らないが少なくとも僕の日常なんぞ、小説にしたところで笑うことも涙することもないと思われるのだが、ノンフィクションの世界でフィクションの世界を上回るような人生を送ってる人もそうは居ないであろう。居たらぜひお目にかかりたい。そんな波乱万丈な人とはあまり関わりたくないが。

とは言いつつも、つい先日ちょっとしたセンセーショナルな出来事があったりしたのだが、その件に関してここで公言してしまうのは色々な人の色々な事情により自粛しておいた方が僕の社会的生存権も遵守されるというものだ。いずれ僕の口から酒の席での一つの笑い話として語られることも遠からずあるかもしれないが、どちらにせよ不特定多数の人間が閲覧することを許可されているこのインターネットという世界では言っちゃあならんことも有るってことよ。まぁ、このBlogを見ている人間は不特定でも多数でも無いんだが。

前回から、今までの『ですます口調』とは打って変わりこういうモノローグ的な書き方をしているのにはそれなりの訳があり、それを説明したところでどうということもないんだろうが一応書いておこう。一つは最近の活字を読む習慣からそれに感化されたことなのだが、それはある種のトリガーみたいなもので直接的な理由というわけではない。今までの文章は読み返すと何かこう、そうじゃないのに優等生を演じているようなむずがゆい感覚に陥ってしまう。前回、こういう書き方を試してみて自分自身、何かしっくりしたものを感じたのである。僕は皮肉った物の言い方や比喩を多用し回りくどい言い方をするのも、はたまた辞書を引いて目に付いた単語をずらずらと並べたようなやたらと小難しいが実のところそんな大したことは言ってない、というようなのが好みなのだ。

もちろん、実生活ではそんな話し方はしていないし、それ以前にそこまで皮肉や比喩や小難しい単語が即座にはじき出せる程のセンスも語彙も持ち合わせてはいない。書面だからこそ矛盾や誤用を排除した、文章を構築できるのであってこれが実生活で可能なのであれば僕はどこぞの大学か何かでやたらと偉そうな講義でもして、ふんだんに財布を暖めているに違いない。

事実、口頭ならば3分とかからないであろうこの文章も、何気ない日常風景から始まり二、三名ほど死者が出てこれまた何気ないところから真相の手がかりを発見し、お決まりの崖っぷちで船越英一郎あたりが犯人にタネ明かしができるぐらいの時間がかかっている。

僕のことだからその内こんな書き方にも飽きがきてまた元の『ですます口調』に戻ったりして、もっともな言い訳を並べて自分自身に釈明したりするんじゃないかと思うが、それはそれ。あまり深く考えるのも困りもんだと最近、身に染みたばかりなのでね。
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by keita8286 | 2006-09-07 10:40

久しぶりなので少し長く。

e0077515_1736996.jpg気がつけば9月。暦の上では『秋』と呼ばれる割に日中の暑さに『残暑』という言葉が頭に浮かびつつ、そういえば『残寒』という言葉はあまり聞かんなぁ・・・などと下りもしない余計なことを考え『今年の夏も夏らしいことをしなかったな』と嘆いている。まさに気がつけば9月。である。

写真は見てのとおり『ウクレレ』である。僕は何もギターばかりを教えているわけではなく、ウクレレも教えるしベースも教えている。ただしどちらも初級者に限るのだが。ウクレレもベースもギターが弾ければそれなりに弾ける楽器であるとはいえ、専門者から見れば初心者に毛が生えてその毛が三つ編みが出来るぐらい伸びただけ、という僕に『ウクレレもベースも教えられるよね』といとも簡単に依頼する楽器屋もどうかと思う。『ええ。大丈夫です。』と営業100%スマイルで答えた僕も僕だが。

そんなわけでウクレレも教えているわけであるが、先に述べたとおりギターを弾くことが出来ればさほど難しい楽器でもない。それでも多少の勉強を要したわけで。まぁそれでも教則本にざっと目を通せば事足りる程度だったが。

この楽器のすごいところは何を弾いても大体がハワイアンになってしまうところである。ハワイの楽器だろうから当たり前といえば当たり前か。しかし、何に起因してそう聞こえるのか。それを考えるとそれはそれで興味深い事柄でもある。ギターとの違いは弦がナイロン弦(ガットギターなら同じ)であり、弦の数が四本であり、チューニングはギターの5フレットにカポを付けたもの(厳密には少し違うが)。あとはネックが短いということぐらいか。ならば、ガットギターの5フレットにカポを付けると似たようなサウンドになるのだろうか。残念なことに僕はガットギターを所持していないので今すぐに確かめる術はない。

僕はギターで他の楽器のようなことを弾くのが割と好きなタイプで、ピアノのようなボイシング(音の積み方)でコードを弾いたり、ベースの特殊な奏法をギターでやったり、シタールやハープみたいなこともしたりする。どれもこれも『なんちゃって』な感じが非常に良い感じなのだ。この際なのでウクレレっぽいこともしてしまおうと考えてこんなことを書いてみた次第である。

三ヶ月後には『気がつけば12月』とか言いながら、夏同様に『秋らしいことをしなかったな』と嘆きながら冬を迎えていることであろう。ところで秋らしいことって何でしょう?僕の貧困な季節行事ボキャブラリーには栗拾いだとか、紅葉見物だとか、僕の興味をそそる行事は到底思い浮かばないのだが。どなたか僕の重い腰を軽々しく持ち上げてくれる程のこれぞ秋。というモノを御教示してはくれないだろうか。
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by keita8286 | 2006-09-03 22:06

街のはずれでシュビドゥバ~

金曜、土曜はレッスン。前にも何回か書いたかもしれませんが、僕はレッスン内容を生徒にやりたい曲を持ってきてもらう。というやり方をとっております。なので当然、聴いたことがない曲や知ってるけど弾いたことのない曲というのがほとんど。その度に『ほんまに色んな曲があるなぁ』と音楽文化の底の深さを思い知るわけです。まぁ生徒が持ってくるのはJ-POPばっかりですが(笑)。

以前紹介した僕のMP3プレーヤーにも現在約1500曲ほど入っております。基本的にその全ての曲をシャッフル再生して聴いてるので、JAZZがかかったと思いきやMETALになり、マニアックなインストからこれまたマニアックなアニソン・・・自分が好きな曲を片っ端からぶち込んだ結果、非常に無秩序なプレーヤーに(笑)。さっきまでは【Pat Metheny】がかかってました。

その時の気分によっては飛ばすこともたまにはありますが、どの曲も良いと思うものばかり。その中に入れれるように『自分が良いと思う曲』を作り上げようとがんばってみようと思ってみたり。

ちなみに外ではヘッドホンで聴くわけですが(もちろんマナーを守りつつね)ついつい、リズムに乗って体が動きそうになるので危ない人に思われないように気をつけてます(笑)。
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by keita8286 | 2006-08-28 06:31

妄想癖アリ

前回書いた【涼宮ハルヒの憂鬱】。続きを読みたいという欲求に勝てず、結局発売されてる第8巻まで購入。今日の明け方まで読みふけってしまいました。こんなに活字を読んだのは何年ぶりだろうか。実家には推理小説の類が応接間の本棚に所狭しと陳列し、父親も兄もけっこうな活字中毒者であるが、家系唯一の理系である僕には興味の対象になったことはない。

ところでこの【涼宮ハルヒの憂鬱】には、いわゆる『タイムパラドックス』のような話がいくつか掲載されている。僕は昔からこの手の、『パラレルワールド』だとか『因果律』だとか『事象ポテンシャル』だとか『時間の連続性』だとかいう言葉に弱い。

『時間は可逆であるが、歴史は不可逆なものである』・・・ある日、お腹を壊した僕はタイムマシンに乗って過去に行き、お腹を壊した原因となる食べ物(ここではカレーとしておこう)を前にした僕自身にその旨を伝える。こうして僕はお腹を壊す事も正露丸のお世話になることもなく一日を平和に過ごす。

一見、僕はカレーを食べずに済んでいるわけだがそうではない。その時点から、カレーを食べた『僕』と食べなかった『僕』とで歴史が分かれるだけのことである。カレーを食べてお腹を壊した『僕』の存在を消す事は出来ない。つまり『タイムマシンで過去に戻ったこと』すらも歴史になるため、時間は戻せても歴史を変えることは出来ない。という理論である。結果的に歴史の分岐が増えるだけである。

これが『パラレルワールド』と呼ばれるもので、未来からの使者が来なくてもカレーを何らかの理由で食べなかった『僕』もいるだろうし、そもそもカレーじゃなくラーメンかもしれない。このように様々な事柄が微妙に違う世界が一瞬ごとに構築され、僕は無限大に分岐された蜘蛛の巣のような事象の内の一つに存在しているに過ぎない。すぐ隣り(もちろん物理的なそれじゃなく)には全然違う話のBlogを書いている僕がいるかもしれないし、もう少し遠くの事象に行くとベジタリアンな僕かもしれない。

こんなことを考えてると頭がおかしくなりそうになるが、たまに他の事象の『僕』はどんな『僕』だろうと想像(妄想ともいう)してみるとこれが中々楽しかったりもする。断っておきますが僕はしがない至って(頭の中も含めて)普通のどこにでも居る普通のギター弾きですのでこの理論の穴などを指摘されても困ります・・・。

ちなみに『時間は可逆であるが、歴史は不可逆なものである』のくだりを化学のテストの問題、『可逆変化と不可逆変化を文章を用いて説明せよ(10点)』という問いの答えとして書いたところ、満点を頂き教師に『おもろいけどこんなん書いたんお前だけや。』と言われたことを思い出します。
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by keita8286 | 2006-08-23 23:40

ブルータス、お前もか!

e0077515_430753.jpg連日の古本屋巡りで、これは買うまいと思っていた本を買ってしまった・・・。【涼宮ハルヒの憂鬱】・・・現在ヲ○ク(もはや伏字にする必要もないだろうが)達の間で絶大なる人気を誇る小説。最近のTVアニメ化の影響もあり、その人気に拍車がかかり、驚異的な数字を残している。

僕もそのTVアニメを観て『これはおもしろい!』と昔の血が騒いだのか、近年のTVアニメにそぐわぬ質の高さに心動かされたのか、原作であるこの小説は気になっていた。立ち寄った古本屋で発見した時は『買ったら負けだぞ』と、減量中の力石が蛇口をひねろうとしている何だかよくわからん様を思い描きつつ、気がつけば『415円が一点~』とマニュアル通りの無感情なセリフと共に【エクアドル共和国陸軍軍医監・名誉大佐】は僕の手から羽ばたいていった。

家に帰り、さっそく読みふける。この小説は現在8巻まで出版されているのだが、その1巻しか買わなかった。もちろん、おもしろくなかったらそれ以降のものを買っても無駄だからである。しかし、1巻しか買わなかったことを読み始めてから5分後には後悔することとなる。

僕は基本的にTVやマンガの類であまり声に出して笑うことは少ない。【水曜どうでしょう】などストライクゾーンにドンピシャ(かなりなピンポイント)でない限り。ましてや活字である。そんな僕が、ともすればB級になりかねない『ドタバタコメディー』なるジャンルで不覚にも人前で笑みをこぼすとは・・・。誰が想像できたであろう。

近年のいわゆる『萌え』には辟易している僕だが、これは良い。やはりどんな分野においても良いモノは良いということです。
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by keita8286 | 2006-08-22 05:11

BOOKOFFで¥400ナリ

e0077515_10425943.jpg久しぶりに4コママンガを購入。【やさしくしないで!】・・・主人公は異常なまでの優しさの持ち主で、あまりに気をつかうため、空回りして逆にヒンシュクを買ってしまうというコメディです。

人に気をつかったり、優しくするというのはとても難しいと感じます。本人は良かれと思ってやったことでも、相手に伝わらなければ優しさとは受け取ってもらえないし、それこそこのマンガのように逆効果であることもしばしば。

以前、親しい友人から『気をつかってるのは知ってるけど、それが中々相手に伝わらない損な性格してるな』と言われたことがあります。何か下心があって、気をつかったり優しくしようとしているわけじゃないので、相手に受け取ってもらえなくても特に気にはしませんが、淋しい気持ちがないわけじゃありません。

でもそう考えると、もしかしたら自分も誰かの気遣いや優しさに気付けていない時もあるんじゃないか。人に優しくするのはすごく大事やけど、人の優しさを見落とさず感じることも大事やなぁと思ったり。

このマンガおもろいわ。
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by keita8286 | 2006-08-21 11:27