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ん~どぉでしょぉ?

阪神タイガースがここにきて怒涛の8連勝。『もしかしたらもしかするかも・・・』と、今日からの直接対決をTVの前で観戦といきたいところだがあいにく今日、明日とレッスン。仮に3連勝ともなればメイクミラクルが現実味を帯びはじめるが、中日もおいそれと勝たしてくれる相手でもない。甲子園でのゲームというのが希望を持てる要素ではあるが・・・。

専門的な解説は福本さんにでも任せるとして、個人的に阪神が優勝できる可能性を少し考えてみよう。まず直接対決に3連勝したと仮定すると(じゃないと話にならないだろう)中日は残り11試合で9勝しなければならなくなるが、これは阪神が残り全ての試合に勝利した場合なので、現実的な数字とはあまり言えない。阪神の残り試合はヤクルトが3戦、巨人が2戦、広島が1戦。今年の数字を見る限りヤクルト、巨人とはほぼ五分。ここを4勝2敗だとすると、中日は11試合で7勝しないとダメなわけだ。

阪神の直接対決以降の4勝2敗というのはまずまず現実的な数字じゃないだろうか。優勝するためにはこの成績で尚且つ、中日が6勝5敗以下である必要があるわけだが・・・。中日にとって相性のよくない(といっても五分だが)ヤクルト、広島戦が多く残っているとはいえこれはけっこう厳しくないか?最後の最後となれば中日の選手も優勝目前となって勢いを増してくるだろうし、連敗することも考えにくい。そりゃ、プロ同士の戦いなのだからどのチームが相手でも勝つのは簡単じゃないだろうが。

やはり最低でも阪神は5勝1敗もしくは全勝で切り抜けなければメイクミラクルは現実に成り難い。全勝すると中日が8勝3敗でも阪神の優勝となる。しかし全勝ということは阪神は17連勝ということに・・・個人的には信じたいがこれはどうだろう?マンガじゃあるまいし・・・。まぁ、マンガみたいなことだからミラクルなのだが。

何にせよ、今日からの直接対決に3連勝しないと取らぬタヌキの何とやらだが、是非ともそのマンガみたいなミラクルをこの目で見たいものだ。いくら現実的でなくとも、12時間後ぐらいには打ち砕かれるかもしれないことだとしても、逆転優勝を思い描いてしまうのである。
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by keita8286 | 2006-09-29 08:12 | 我思う。な話

The Chicken

僕は臆病である。自分が傷つくのも人を傷つけるのも恐れ、いかなる時でも逃げ道を確保しながら行動し、面倒事は可能な限り回避コースを選択する。一人で居ることが嫌いなくせに誰かに甘えることも出来ず、『ここに居る』と叫ぶことも出来ず。全ての事柄に関して恐怖がつきまとう。拒絶されたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、誤解されたらどうしよう、気を使わせてしまったら、傷つけてしまったら・・・僕は臆病者である。

しかし最近気付いたことがある。僕は確かに臆病者だが、誰かのためにならほんの少し(それはスズメの涙ほどかもしれないが)勇気を振り絞れるということだ。自己犠牲なんて偉そうなことを言うつもりはない。自分の出来ることで誰かの役に立てるなら、『はい!喜んで~』ということだ。出来る範囲が広がるとも言えるかもしれない。もちろん○○を殺ってくれとか、身も知らぬ人に金をくれと言われてもやるわけはないが。というよりそれは犯罪である。前科持ちになるのは御免被りたい。

僕は昔からあまり人に頼られたりすることが少ない方だったからか、つい最近までそのことに気付かなかった。例え、他に誰も都合がつかなくてアイツでもいいか。というような状況で僕を頼ってきたのだとしても、どうゆう理由であれ自分を頼ってきてくれたことに対して最大限の力で応える。もちろん必要なら努力もするだろう。自発的にそれだけのエネルギーを出せないのは問題かもしれないがともかく自分のためよりも人のため。と思う方が出来ることが多いような気がする。そして、人のためというのはひいては自分のために繋がることだとも思う。

ところが自分の臆病な部分が無くなれば無くなるほど人のために出来る事も多くなるだろうから、人のため。というのが臆病であっていい理由にはならないんだなぁ・・・。残念ながら。

そうそう、前にも書いたが今月の24日でこのBlogも1周年だそうで。いやぁ、めでたい。
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by keita8286 | 2006-09-27 03:10 | 我思う。な話

エンドレス

よく祭は準備が楽しいなんてことが言われるが、僕もその性質である。準備段階はこれから始まるイベントに対して期待や高揚感でワクワクするものだが、いざ祭が始まってしまうと何やかんやで忙しく、楽しむヒマがないってことはよくあることだ。しかし、僕にはもう一つ感じることがある。始まった瞬間、終焉へのカウントダウンも始まってしまうということ。何事にも始まりがあれば終わりもある。だが、始まらなければ終わりが来ることもない。僕が準備は楽しいと思うのはこういう理由からだ。

学生時代の文化祭や体育祭なんてのは実に楽しみだった。皆が力を合わせ、知恵を振り絞り、協力し時には競い合う。これほど血沸き肉踊るシチュエーションもそうそうないであろう。実際、楽しかったし終わった後の充実感もひとしおさ。だが次に待っているのはいつもと変わること無い日常。祭が楽しければ楽しいほど、あれは夢だったのかと感じるも、結局は日常の波に流されそんなこともすぐに考えなくなる。

秋の風はふいにこんなことを思い出させる。僕にとっては終わりの季節とでも言おうか。いや、始まり季節である春の対極と考えれば、けっこうそう感じている人は多いかもしれないが。しかしまぁ、終わるってことはまた始まるってこと。ドラマだって何だってそう。その気になれば始めつづけることは出来るわけさ。何度終わりが来ようとね。
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by keita8286 | 2006-09-21 03:34

3年5組21番。

e0077515_2405421.jpgハッピーマンデー政策により土、日、月という3連休が多くなった今日、連休よりも週の真ん中ぐらい(水曜や木曜?)にポッとある祭日の方が何となくありがたみを感じるのは僕だけだろうか。まぁ祭日の休日というのはどんな形であれ、幼少の頃から日曜日とは少し違う何とも言いがたい安らぎを感じる休日ではあるが。

その連休をどれだけの人が満喫したかは知らないが、少なくとも僕は満喫したと言えるのではないだろうか。思わず休み明けの仕事を当日思い出したぐらいだ。

一晩中スーパーマリオ(しかもⅡ)を躍起になってクリアしようとしている25歳の男4人。内訳はギタリスト、コンピューター関係者、元不動産業、レントゲン技師。端から見ればなかなか痛々しい画が出来あがっていただろう。しかし、高校時代の僕等はいつもこうだった。こんな風にゲームをするか麻雀をするか。とにかく一晩中、(週末でなくとも)騒ぎ明かしたものだ。その頃と何一つ変わらない。中には何年か振りに会った者もいるのにだ。ちなみに全く関係ないが写真は高3の数学のテスト。この夜、せっかくだからと卒業アルバムを開いたら中に挟まっていたものだ。見ての通り100点満点。記念にとっておいたのだが今の僕にとっては理解不能の言語が並んでいるようにしか見えない。

次の日はおそらく僕にとって最良の友人であろう【T氏】と会う。ジャイ○ン的に言うと『心の友』というやつだろうか。この日は(といってもいつものことだが)近所の飲み屋へ。彼とも久しぶりに会い、しかし昨日と同じく昔と何一つ変わらない時間。気がつけば6時間も経過していたことに驚き、そろそろお開き。・・・はて?何の話をしただろうか?お互い近況報告をするわけでもなく、愚痴や悩みをこぼすわけでもなく、かといって無言の時は皆無。それほど酔っているわけでもない。6時間も会話は途切れることがなかったのにほとんどと言っていいほど内容を覚えていない。彼と会った時は必ず笑顔でこのセリフを吐く。『今日も実のない話だった』と。

お互い深くを語らず、テリトリーに侵入せず。だが気をつかっているのとは違う。こういう時、自分の表現力のなさにヤキモキしてしまうが、一言で言うなら(月並みだが)親友だろう。

タイムスリップというのは映画やアニメの中だけだと思っていたが、割と簡単に出来るようだ。彼等と会っていた時の僕は紛れもなく18歳の僕だった。
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by keita8286 | 2006-09-20 03:20

長い一日でした。

僕の部屋はエントロピー増大の法則によってその乱雑さを増し、いくら片付けても宇宙の理にどうあがいたって一介のギタリストが敵うわけはなく、よって部屋を片付けるのは不可能と、完璧なロジックで自分の棚上げに成功したところで今日は先日のバレーボール後の話。

運動したその日に体が痛くなるのは筋肉痛とは違うかもしれないが、ともかく筋肉の張りを訴えて三回ぐらいでマウンドを降りたピッチャーのように(野球はしたことないが)体を引きずり家を出た。目的地は【長堀橋 Peace Bar】。月に一度は足を運んでるんじゃないだろうか。毎度おなじみの(?)【Faith】を見に行った。しかし今回はそれだけではない。【梶山シュウ】・・・ベース、カリンバ、パーカッションを同時演奏しながら唄を唄う「独弾(どくだん)」パフォーマー。前々から相方の千夏に『すごいで~』と聞かされていたので非常に楽しみにしていたLIVEである。

結果から言うと【梶山シュウ】さんのLIVEは感動しきりだった。これを聴いて感動を覚えないミュージシャン、アーティストは居ないんじゃないだろうかと思えるぐらいに。今はそれに対する自分の未熟さや甘さに、頭を抱えてしまうが観ている時はそんなことはどうでもよかった。五感をそのパフォーマンスに全て奪われてしまったようだった。

打ち上げにも参加さしてもらい、梶山さんの音楽に対しての情熱も存分に感じることができた。もちろん、その「人となり」が素晴らしかったことは言うまでもないだろう。楽器を持っていない時こそ、その人の音楽観が見えるというもの。本当に中身の濃い一日になった。色んな意味で。

ちなみに今日はもう日付が変わって金曜日なのだが、未だに階段を降りたりする時は太ももに軽く痛みが走る。冗談のつもりだったが日曜までに完全回復しないんじゃなかろうか・・・。困ったもんだ。
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by keita8286 | 2006-09-15 04:22

あ(りがとうございま)したぁ!!

体中が悲鳴をあげている、という擬人法が今の僕にはぴったりであろう。ちょっとした階段を昇るにも苦痛の表情が浮かぶほどである。事の起こりは一昨日の日曜に遡る。

最近にしては珍しく、午前中に電子音を響かせる携帯電話で目を覚ました。幼馴染からのメール。ちなみに幼稚園からの付き合いなのであるが、実際によく話すようになったのは中学3年の時からだ。それは幼馴染とは言わないのでは・・・と疑問が頭をかすめるが、今となっては幼馴染という表現が合っているような気がするのでよしとする。ついでに、その人は女性なのだが今は結婚し、二人目をそのおなかに宿している。今に至るまで僕とのいわゆる男女の関係も(心身ともに)皆無だったことを付け加えておこう。男女の友情も稀にだが存在するものさ。

彼女からのメールは文面を見るまでもなく予想できるのだが一応、開いて確認する。予想通り、バレーボールをしに来ないか?という誘いのメールであった。中学時代は共にバレー部にその身を置き、陽が暮れるまで青春を大いに謳歌したものである。高校生の頃はお互いによく地元のバレーボールチームに顔を出していたが、二十歳を過ぎたあたりからは時間もなくなり、何となく疎遠状態が続いていた。時折、こんな風に誘いのメールが来ては何かと理由をつけて断っていたのだが・・・時間を持て余しそうな日曜の午後。たまには健康的な汗をかくのも悪くないだろうと押入れの奥にしまったバレーシューズを引っ張り出し、気づけば徒歩五分の公民館にその足を運んでいたのである。

さて、そこから二時間ほど前後左右、そして垂直に跳びに跳びまくった僕の足(主に太もも)の状態がどんなものであるかは言うに及ばないであろう。何年も運動と呼ばれるものから遠ざっていたことも忘れ、しかし悲しいかな体は10年前の感覚を覚えていたようで、勝手に身体能力以上のことを要求するのだからたまったものじゃない。全く、僕の脳はどうなってるんだろうね。もう少し今の僕の能力を把握してほしいもんだ。おかげで日常生活に支障をきたすほどの筋肉痛ではないか。しかしまあ、こういう汗のかき方はやっぱり悪くない。これからは幼馴染の誘いを無碍に断るのもやめにしよう。次の日曜までにこの筋肉痛が治っていればの話だが。
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by keita8286 | 2006-09-12 16:10

無意味の意味

このBlogも今月の24日を以ってめでたく1周年ということに先ほど気付き、ついでに今までどれだけの戯言を特に目的や理由もなく全世界に向けて垂れ流してきたのかと調べてみるに、120件程に達するという。単純に3日に一度はキーボードを前にそれなりの、少なくとも日本語を解する人ならばまぁどうにか理解できそうな文章を綴ってきたわけである。

『事実は小説よりも奇なり』と、誰が言ったかは知らないが少なくとも僕の日常なんぞ、小説にしたところで笑うことも涙することもないと思われるのだが、ノンフィクションの世界でフィクションの世界を上回るような人生を送ってる人もそうは居ないであろう。居たらぜひお目にかかりたい。そんな波乱万丈な人とはあまり関わりたくないが。

とは言いつつも、つい先日ちょっとしたセンセーショナルな出来事があったりしたのだが、その件に関してここで公言してしまうのは色々な人の色々な事情により自粛しておいた方が僕の社会的生存権も遵守されるというものだ。いずれ僕の口から酒の席での一つの笑い話として語られることも遠からずあるかもしれないが、どちらにせよ不特定多数の人間が閲覧することを許可されているこのインターネットという世界では言っちゃあならんことも有るってことよ。まぁ、このBlogを見ている人間は不特定でも多数でも無いんだが。

前回から、今までの『ですます口調』とは打って変わりこういうモノローグ的な書き方をしているのにはそれなりの訳があり、それを説明したところでどうということもないんだろうが一応書いておこう。一つは最近の活字を読む習慣からそれに感化されたことなのだが、それはある種のトリガーみたいなもので直接的な理由というわけではない。今までの文章は読み返すと何かこう、そうじゃないのに優等生を演じているようなむずがゆい感覚に陥ってしまう。前回、こういう書き方を試してみて自分自身、何かしっくりしたものを感じたのである。僕は皮肉った物の言い方や比喩を多用し回りくどい言い方をするのも、はたまた辞書を引いて目に付いた単語をずらずらと並べたようなやたらと小難しいが実のところそんな大したことは言ってない、というようなのが好みなのだ。

もちろん、実生活ではそんな話し方はしていないし、それ以前にそこまで皮肉や比喩や小難しい単語が即座にはじき出せる程のセンスも語彙も持ち合わせてはいない。書面だからこそ矛盾や誤用を排除した、文章を構築できるのであってこれが実生活で可能なのであれば僕はどこぞの大学か何かでやたらと偉そうな講義でもして、ふんだんに財布を暖めているに違いない。

事実、口頭ならば3分とかからないであろうこの文章も、何気ない日常風景から始まり二、三名ほど死者が出てこれまた何気ないところから真相の手がかりを発見し、お決まりの崖っぷちで船越英一郎あたりが犯人にタネ明かしができるぐらいの時間がかかっている。

僕のことだからその内こんな書き方にも飽きがきてまた元の『ですます口調』に戻ったりして、もっともな言い訳を並べて自分自身に釈明したりするんじゃないかと思うが、それはそれ。あまり深く考えるのも困りもんだと最近、身に染みたばかりなのでね。
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by keita8286 | 2006-09-07 10:40

久しぶりなので少し長く。

e0077515_1736996.jpg気がつけば9月。暦の上では『秋』と呼ばれる割に日中の暑さに『残暑』という言葉が頭に浮かびつつ、そういえば『残寒』という言葉はあまり聞かんなぁ・・・などと下りもしない余計なことを考え『今年の夏も夏らしいことをしなかったな』と嘆いている。まさに気がつけば9月。である。

写真は見てのとおり『ウクレレ』である。僕は何もギターばかりを教えているわけではなく、ウクレレも教えるしベースも教えている。ただしどちらも初級者に限るのだが。ウクレレもベースもギターが弾ければそれなりに弾ける楽器であるとはいえ、専門者から見れば初心者に毛が生えてその毛が三つ編みが出来るぐらい伸びただけ、という僕に『ウクレレもベースも教えられるよね』といとも簡単に依頼する楽器屋もどうかと思う。『ええ。大丈夫です。』と営業100%スマイルで答えた僕も僕だが。

そんなわけでウクレレも教えているわけであるが、先に述べたとおりギターを弾くことが出来ればさほど難しい楽器でもない。それでも多少の勉強を要したわけで。まぁそれでも教則本にざっと目を通せば事足りる程度だったが。

この楽器のすごいところは何を弾いても大体がハワイアンになってしまうところである。ハワイの楽器だろうから当たり前といえば当たり前か。しかし、何に起因してそう聞こえるのか。それを考えるとそれはそれで興味深い事柄でもある。ギターとの違いは弦がナイロン弦(ガットギターなら同じ)であり、弦の数が四本であり、チューニングはギターの5フレットにカポを付けたもの(厳密には少し違うが)。あとはネックが短いということぐらいか。ならば、ガットギターの5フレットにカポを付けると似たようなサウンドになるのだろうか。残念なことに僕はガットギターを所持していないので今すぐに確かめる術はない。

僕はギターで他の楽器のようなことを弾くのが割と好きなタイプで、ピアノのようなボイシング(音の積み方)でコードを弾いたり、ベースの特殊な奏法をギターでやったり、シタールやハープみたいなこともしたりする。どれもこれも『なんちゃって』な感じが非常に良い感じなのだ。この際なのでウクレレっぽいこともしてしまおうと考えてこんなことを書いてみた次第である。

三ヶ月後には『気がつけば12月』とか言いながら、夏同様に『秋らしいことをしなかったな』と嘆きながら冬を迎えていることであろう。ところで秋らしいことって何でしょう?僕の貧困な季節行事ボキャブラリーには栗拾いだとか、紅葉見物だとか、僕の興味をそそる行事は到底思い浮かばないのだが。どなたか僕の重い腰を軽々しく持ち上げてくれる程のこれぞ秋。というモノを御教示してはくれないだろうか。
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by keita8286 | 2006-09-03 22:06